「しろね大凧と歴史館」訪問手記




「しろね大凧と歴史館」に行ってきました、平八です。

毎年6月初め頃に開催されるしろね大凧合戦、世界の凧、白根の歴史などを拝見してきました。

交通機関は車が便利。

情報:
住所:
〒950-1214
新潟県新潟市南区上下諏訪木1770-1
TEL (025)372-0314  FAX (025)372-0316
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:
 第2・4水曜日(ただし祝日の場合は翌日休館)
 年末年始(12月28日~1月3日)
観覧料:
 大人400円(20人以上の団体は300円)
 小・中・高校生200円(20人以上の団体は150円)
 ※土・日・祝日は小学生・中学生無料
 幼児無料

外部リンク:HP

しろね大凧合戦とは

 

新潟県南区(旧白根市)に江戸時代から伝わる初夏の伝統行事です。

まず中ノ口川(川幅約80メートル)を挟み、東軍と西軍に分かれて陣取ります。

そしてそれぞれの陣営が高さ7メートル、横5メートルにもなる大凧を中ノ口川の両岸から揚げます。

天高く揚げた両軍の大凧を川の中ほどで絡ませ、川に落とします。

より詳細には東軍が先に凧を揚げ、西軍が東軍の凧にかぶせるように絡ませていきます。

この時点で「なんじゃそりゃ」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、凧が川に落ちて和紙がはがれてちょっと無残な姿になってからセカンドステージに移行します。

川の真ん中でガッチリと絡まった凧を揚げるために引いていた凧綱を綱引きの要領でそれぞれの陣地に配置していた参加者が引き合い、相手方の凧綱を切った方が勝利。

凧綱自体が130メートルほどあるため、かなり遠くの方まで綱を引っ張ります。

町の路地に人がみっちり揃って勢いよく綱を引く光景はかなりの非日常。

東軍と西軍は更にいくつかの組に分かれており、切った綱の多さで優勝を決めるというシステムです。

歴史を感じさせる一枚

実際に開催されるのは6月最初の週の5日間なので今回は館内の3D動画で見せて頂きましたが実に勇壮なお祭りでした。

重さ約50キロもある大凧を揚げるために川岸の小道を何十人もの人達が猛ダッシュして勢いつけて飛ばし、川の上で絡ませて思い切りよく落とし、老若男女が綱を一心不乱に引き合う姿は豪快の一語。

館内の職員さんにお話を伺いましたが「是非実物で見て頂きたい」とのこと。

記録映像も迫力はあるけど実際に中之口川に大凧が墜落する時の水飛沫や叩きつけられる音は現地の臨場感が素晴らしいということです。

というか、職員さんがあまりに熱っぽくそのさまを語るので自分も実物を見たくなりました。

半年以上もかけて製作した大凧が一瞬でフイになる、滅びの美学のようなのも味わってほしいと語る姿に「ああこの方は本当に大凧が好きなのだ」と感心しながら色々と聞かせて頂きました。

実際に大凧合戦が開催される時はJR上越新幹線の「燕三条」駅からシャトルバスが出ているようなので交通もよさそうですね。

今回私は信越本線の「矢代田」駅から移動しましたけど、直通移動できるならバスの方が楽だと思いました。

ハイキングコースが豊富な矢代田駅周辺。

あと、今回特に私が心惹かれたのは凧綱とそれを作る姿。

これも記録映像で見た限りの話ですが、麻を丹念に力を籠めて撚り合わせていく職人仕事を見てるだけで疲れました。

気合と集中力を要するため(そもそも日中の本業が終わってからの作業なので)1日1メートルも進めば…というペースで130メートルを撚り上げるのです。

一本作り上げるのに気の遠くなるような労力が…

綱引きで切れたら負け、というルールなので丈夫に作らなければならないというプレッシャーと簡単に切れて負けるわけにはいかないというプライドのせめぎあいが起こっているであろうことは想像に難くありません。

大空を勇壮に舞う大凧も、それを委ねられる凧綱なくして成り立たないと思うのです。

展示物を見てると過去にはビックリするくらい強い綱もあったようですね。

 

48連勝ってなんだそりゃ。

謙信組ハンパねぇ。

さながら凧の万国博覧会

 

しろね大凧合戦をひとしきり堪能した後は各地から集った凧の展示と貴重な資料の数々。

館の名前から、てっきり新潟周辺の凧のみの展示だと思ってたんですがワールドワイドだったよ。

大凧合戦展示の後に新潟県の凧展示、北陸、北海道、関東圏…とどんどん地域が移り変わっていくので流石に関東辺りで気づきましたが日本全国の凧や各地の凧に関する催しが山ほど展示されていました。

 

情報量に圧倒されます。

実物の凧の横に豆知識が書かれていたり、実に勉強になります。

 

ふざけてるように見えますが、魔除けのものとも言われています。

「タコの凧があるならイカの凧があってもいいじゃなイカ」というフリーダムな発想にクスリと来ることも。

まあ…いいけど…

沖縄の凧まで出たところでここで終わりかな、と思いきや展示物はまだまだ続く模様。

二階に上がってさらに進むとそこは外国の凧展示。

そこまで行くか。

アートを取り込んだシャレオツな凧もあれば、歴史教材になりそうなプリミティブな凧もあり、情報量の多さにこの辺りでちょっと疲れてきます。

歴史の教科書に載ってそうな年季の入った台湾の凧

あと君どっかで見たことある?な凧も。

エジソンは偉い人とか言ってない?

実に懐の深い展示内容の数々。

展示の二階奥では凧を製作できる体験設備(有料:2019年現在300円)があります。

隣には屋内で凧を揚げられる設備があるので、自分で作った凧をその場で飛ばすことが出来るという話の早さ。

流石に天井の高さまでしか揚げられないので実際とは勝手が違いますが、糸の繰り方などは外で揚げるのと近い感覚です。

 

白根訪問のもうひとつの目的

 

そもそもしろね大凧合戦を知ったのは「ついでにとんちんかん」でおなじみ、えんどコイチ先生が自著でネタにしていたのを読んだからです。

 

その際当時の担当編集者が「白根」のルビを「しらね」と打ったという理由で先生手ずから担当者を縛り上げて鞭でしばくというギャグを披露しました。

また白根市民に対し「ここはしらねしと言うんだぜ、しらねーだろ」とボケた男が市民からボコボコにされるというジョークがあったり当時の自分には妙に心に残る一節でした。

そしてこのたび近くまで来る用事があったので足を延ばしてみようと思い立ったのです。

ところで白根市(現新潟市南区)は「激烈バカ」でおなじみ斉藤富士夫先生の出身地でもあります。

 

かつて週刊少年ジャンプと週刊少年マガジンに旋風を巻き起こした変態漫画の作家先生をふたりも輩出した白根市。

これは単なる偶然でしょうか。

もしかして白根にはそうした土壌があるのかも知れないと疑念を抱き、確かめるためにかの地に降り立ったのです。

結論を申し上げますと、そんなおかしなところはなかったです。(当たり前と言えば当たり前)

幹線道路を少し外れると広大な田畑が広がり、雄大な信濃川や中之口川など水源に恵まれた土地柄でした。

ゆったりと流れる信濃川。

 

そのためかつては直江兼続が指揮を執り治水工事に取り組むなど先人の労苦もしのばれました。

(このあたりはしろね大凧と歴史館でも展示されています)

 

当時の漫画ファンとしては「ここで抜作先生やなんちゃって野郎が育まれたのか…」と思うとなかなか感慨深いものがありました。

 

売店で購入「凧っこ13人衆」

 

上の方で少し触れましたが、大凧合戦は大きく東軍と西軍に分かれ、更に軍の中でもいくつかの「組」に分かれます。
(2019年現在では東軍6組、西軍7組)

「組」はそれぞれの名称にちなんだ凧の図柄を有しており、大凧合戦が始まった江戸時代から続く組、平成になって創設された組、途中で途絶えた組など様々ありつつも大凧合戦の伝統を現在まで伝えています。

かつては企業が出資した「桃太郎組」というのもあったそうですね。

さて、大凧と白根の歴史を堪能した後なにか記念品をと物色してたら気になるものを見つけました。

画面右下は元の図柄

組の擬人化。

「こいつは…でかいシノギのにおいがするぜ」と冊子を購入。

缶バッジも各種取り揃えてあったんですけどその場では推しを決めかねたので見送りました。

冊子の内容は漫画2ページ、各組の解説と擬人化キャラの設定、大凧合戦の流れの擬人化などです。

最後なんだよ。

すごいシュールだよ。

各組の解説については町名のもじりなどの由来が書かれており、勉強になります。

現地で色々聞いた由来の話のおさらいになって重宝しました。

ひと通り考えたけど…大高ちゃんがいい、かな。

木槌でなんでも壊すバイオレンスなところとか90年ぶりの優勝でいじられるところとか。

しかし原型の大高源吾も遠く新潟の地で女性になるとか想像もしてなかったでしょうね。

これから

 

大凧を揚げるにも多くの人的な労力と資金が必要になります。

凧一枚でも結構な費用が掛かるのに加え、各組20枚とか揃えるのでかなりの額になるとのこと。

一枚こさえるのに和紙数百枚使いますしね。

貼り付ける労力を考えると気が遠くなりそう。

なので、各組から出資を募り、あるいは「大凧に名前を入れる」などスポンサー制度のようなことも行っているようです。

(その年に生まれた赤ちゃんの名前を入れたり、祖父母大喜びとか)

元々は江戸の頃に白根町の人々が中之口川堤防の改修工事完了を祝って揚げた凧が対岸の西白根に墜落して土地を荒らし、報復として西白根側が白根町に凧を墜としたのが始まりだと言われていますがそこから考えると相当大きな催し物になった感があります。

今の平和的な形になるまでには色々あったんだろうな。

歴史館にも展示されていましたが戦争などどうしようもない荒波に揉まれながらも現代まで初夏の風物詩として続けてきたことは素晴らしいと思います。

出来れば来年、現地で実物を見たいですね。

いつかまたこの地に来ることを。

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