人並みにはオカルト好き、平八です。
今夜はオカルト番組の急先鋒が映画化「緊急検証! THE MOVIE」のレビューです。
公式サイト:
「緊急検証!THE MOVIE」新春公開!人気オカルト・バラエティ番組がまさかの映画化! 逸見太郎、大槻ケンヂ、辛酸なめ…
※環境によっては突然予告編が始まるので、ご注意下さい。
オカルトはどこから来てどこへ行くのか
本作はケーブルテレビのファミリー劇場(以下ファミ劇)で不定期放送されるオカルト番組を映画化したものです。
かつて日本を熱狂させた三大オカルト「ネッシー」「ノストラダムスの大予言」「超能力」。
これらを当時の関係者の話を聞きながら再検証し、ファミ劇が誇るオカルト三銃士が独自の解釈、新情報を加えながらプレゼンし、再びオカルトをアツく燃やそうという意欲的な作品でした。
何となく「平成も終わるし一回総括しとこうか」という空気も感じましたがそれはそれ。
で、白状しますと私この番組観たことなかったんです。
それで今回初めてスクリーンで観たんですけどメッチャエンタメしてた。
冒頭いきなりユリ・ゲラーが映画を観る際の注意(というか暗示)をしてきて初っ端からいいのをもらった気分になりましたが、その後展開される「ネッシー編」がすごすぎ。
世の中ってまだこんなすげえ奴がいるんだとカカロットのように胸がときめきました。
もし後日映像ソフトその他で世に出ることがあれば、是非実際にご覧頂きたいのでかいつまんでお話ししますが、三銃士の一人・中沢健氏の熱量のあるプレゼンを聞いているうちにネッシーはいないと思っている自分が間違ってるような気がしてきました。
え、だってネッシーの例の写真がフカシだと判明した後でも目撃情報増えてるんですよ?
それに湖は我々人類より高位の存在で、今世界中の湖は互いに覇権を争っていて、現在の湖界の頂点がネス湖なので日本の湖は実質ネス湖だと言える。
そしてネス湖が人類とコンタクトをとるために受肉したネスコさんから得たネッシーにかかわる様々な情報を今回の映画で公開されたのです!!
すいません…自分でも情報整理しきれてなくて…ぶっちゃけ私も「言葉の意味はよく分からんがとにかくすごい自信だ」状態で…
先の文章のような情報がどっと押し込まれて戸惑う場面もあるのですが、クラウドファンディングで調達した資金でついに約束の地・ネス湖に降り立つ中沢氏。
(日本の湖がネス湖化してるなら別に本場のネス湖に行かなくてもいいじゃんと思ったのは内緒です)
こっからはもう息もつかせぬクライマックス。
ツッコミどころが多すぎて楽しすぎる。
もう本当に誰かに話してこの興奮を共有したいんですけど映画を未見の方もいらっしゃるでしょうし、出来ればあのグダグダは前情報なしでご覧頂きたいので割愛します。
でもあのどうしようもない顛末がエンタメになってるのはすごい才能だと思いました。
あすかあきお先生の思い出
次鋒は長年オカルト研究に取り組まれている飛鳥昭雄先生。
なんか先のネス湖ロケとユリ・ゲラーのギャラで予算をだいぶ使ったせいかスタジオでフリップ片手にノストラダムスの新解釈をするという実にエコなプレゼン。
地球の中には月と同じくらいの大きさの天体があって、それがバリアーになって地球を滅亡から救うとか色々難しい話をされていたのですが、コメンテーターの大槻ケンヂ氏曰く「映画で初見なら分からなくて当たり前なので安心してほしい。アベンジャーズをいきなり途中から観るようなもの」とフォローが入りましたので安心です。
ところで私は漫画家としてのあすかあきお先生を以前から存じ上げていました。
後述の「三銃士のあゆみ」でも触れられていましたが、80年代のコロコロコミックに連載していた「ザ・超能力」を読んでいたんですね。
こちらは「超能力は実際にあるかも知れない、しかし今世間に出回っている超能力はトリックを使えば可能である」というスタンスのもと、あすかあきお先生が当時の同僚作家やユリ・ゲラーシンパを相手に論理的なトリックを展開していくという、非常に面白い内容でした。
当時まだ子供だった私は「そういうものの考え方もあるんだ」と目が開ける思いがしたものです。
それからの先生は私の目の届く範囲とは別のステージで活動していらしたのでそれ以降は私が社会人になった頃に「ネッシーの正体は死んだら骨も残らない生物。しかし謎の組織に追われていて真実を公開することは出来ない」とかそういう内容の漫画を読んだくらいで、以降特に接点はありませんでした。
そして今スクリーンの向こうに飛鳥昭雄先生がいる。
御年68歳。
マジか。
なんと精力的な。
何かこう、一途になれるものを持っている人間はいつまでも若々しくあるのかも知れません。
言ってることはほとんど理解できませんでしたけど。
新たなサイキッカーの萌芽
かつて超能力ブームを巻き起こしたユリ・ゲラー。
マインドシーカーでおなじみ清田益章氏。
そして遂に現れた、彼らを過去にしてしまうかも知れない新たなサイキッカーがベールを脱ぐ。
…結論から言うと、過去にするのはもうちょっと様子を見た方がいいかも知れない。
一報を聞きつけオカルト三銃士・山口敏太郎氏とオカルトには否定的な立場をとる唐沢俊一氏がそのニューウェーブ超能力者を訪ねるというシーンに移行します。
この時ナレーションで「もうだいぶクラウドファンディングの予算が尽きかけてる」と馬鹿正直に語っていたのが印象的でした。
訪ねた先にいたのはまだ少年と言ってもいい年頃の男子でした。
あまり目立ちたくないとのことで、友達にも能力を明かしたことのない彼が「掌に包んだコインをテレポートさせることができる」と主張し、実演の流れになります。
そこで掌にあった百円玉とテレポートさせた後の百円玉が同じものだと証明するためにマジックで少年自身がマーキングしようとします。
「いやいやいやいや、自分で描いちゃダメだろ!」と流石に声には出しませんでしたが、スクリーンに向かってツッコみました。
結局実演の後、その点に物言いが入り(じゃあこのくだりカットしても良かったんじゃ…)仕切り直しとなります。
しかしテレポートにはかなりのパワーを消費するため、二度目は使えないかも知れない。
そこで少年は「掌に包んだ百円玉を複製します」と提案してきます。
「いやいやいやいや、そっちの方が難しいだろ!!」
またやってしまいました。
その後、スタッフが百円玉の裏面にマーキングし、少年が複製作業に取り掛かり、確かに二枚目の百円玉が出たは出たのですが何か色々とモヤモヤしました。
このモヤモヤは私が感じただけかも知れないので、機会があれば実際の映像を確認して頂ければと思います。
個人的には超能力に懐疑的な唐沢氏が妙に言葉を選んでいたのが印象的でしたね。
我々にはオカルトが必要なのか?
全てのプレゼンが終了した後、三銃士のこれまでを振り返るコーナーに移行しました。
何か今までと全然雰囲気が変わったので多少面喰らいましたが、何故彼らがこうもオカルトに魅せられたのかの一端が語られます。
事情はそれぞれ異なっても、彼らの人生はオカルトに出会うことで変わり、あるいは救われました。
ある意味彼らの履歴書のような映像を観ながら、人の心を救えるのは結局人の心が生み出す感動なのかも知れないと思い始めます。
流石に私が生まれる前なので伝聞にはなりますがユリ・ゲラーが一大ブームを巻き起こした当時の日本は物質文明が進歩し豊かな生活を享受しながらも、公害など社会的に深刻な問題に直面しており、皆がその先に一抹の不安を抱いていた時代でした。
ブームは去り、あれから40年近い歳月が流れ、物に依存する文化、文明は当時よりも隆盛を誇っています。
「あの時代に蔓延していた不安は杞憂だった」という見方も出来るかも知れません。
ただ、色々と便利な世の中にはなったものの人間と文明、オカルトの関係は当時とさほど変わっていないように見えます。
今も昔も大きな問題を抱えたまま、それでも文明の持つ力にすがり、どうにか日々を過ごしているわけですから。
そしてその物質文明の持つ独特の息苦しさに疲れた人々が求めるのが現代の物差しでは計り知れない何かへの憧れ、心の高揚なのではないかと考えます。
言い方を変えれば「自分をワクワクさせてくれるものに没頭したい」という欲求のあらわれなのかも知れません。
勿論オカルトにも弱い人の心につけ込む悪の宗教のような負の側面があり(ここは映画の中でも取り上げてました)身もフタもない言い方をすれば「オカルトは使用上の注意をよく読んで適切に服用しましょう」となるのですが、オカルトを愛することが他者に迷惑をかけることなく自らの心の救済につながるのならオカルトもそう捨てたものではないなと思いました。
「オカルトがなければ私の人生の半分はつまらないものになっていた」と語る中沢氏の言葉がやけに印象的でしたね。
ユリ・ゲラーみたび
冒頭いきなり我々のハートを鷲掴みにしたユリ・ゲラー氏。
超能力プレゼンの際にも当時の熱狂や超能力を取り巻く環境にコメントしていました。
おそらく色々あったことと思いますが、私の見る限り今現在の氏は平穏な日々を送っていると感じました。
「私のような存在に賛否両論わき起こるのは健全である」「私以上の超能力者?勿論いるだろうね」等、とても謙虚なコメントが印象に残ります。
そうこうしているうちにエンディングのスタッロールが始まりました。
いやあ濃密な時間だったと気を抜いていると、またもスクリーンに大写しになるユリ・ゲラー。
何事か、と身構えていると「スプーンを用意して下さい」とのこと。
スプーン…?
あっ!!
劇場の入り口で貰ったコレ!?
来場者特典にしては何かおかしいと思ってたんだよ!
デカくてかさばるし何じゃこりゃと思いながら劇場入りしたんだよ!!
あまりの出来事に戸惑う我々など意に介さずスクリーンの向こうのユリ・ゲラーは「さあ私と一緒にスプーンを曲げましょう」となんか嬉しそう。
まさかの映画館で客いじり。
劇場内も「おい…どうする…」という空気が流れます。
結局私の周囲にスプーンを取り出す観客はいませんでしたが、その間もゆったりと時間を使ってスプーンに念を込めるユリ・ゲラー。
おそらく時間にして数分にも満たなかったはずですが永遠のような一瞬でした。
ユリ・ゲラーは「マガレーマガレー」言ってるし今更スプーン取り出すのもどうかと思うし。
(ビニールで包まれてるので取り出そうとしたら絶対音が鳴る)
気がついたらスクリーンは消え、劇場内に灯りが戻っていましたが、背中に変な汗をかいている私がそこにはいました。
もう平成も終わるのに、こんなイジリ方されるとは予想だにしてなかった。
まとめ
わちゃわちゃしたけど全体的に満足。
いや、構成自体はちゃんとしてたと思うんですけど色々フックになるポイントや濃いキャラクターが多すぎてどんな感情で観ればいいのか分からなくなることがあったという意味です。
でもやっぱり色んな濃度が高かったのは「ネッシー編」なので、未見の方は是非劇場とかで観て頂きたいですね。
「なんでそこに豆しば占い本があんねん」というよく分からないところでウケたりします。