自分の中の黒い部分を見た気がした、平八です。
今夜はあまりにえげつない内容につき、1983年公開後ヨーロッパ全土で出禁くらった映画「アングスト(不安)」のレビューです。
ジェラルド・カーグル監督はこれが唯一の監督作品であり、全額自費制作というとんでもない力の入れようだったとのこと。
現実の事件を題材とした映画
本作は1980年オーストリアで起こった一家惨殺事件を元にした映画です。
全体的にドキュメンタリータッチというか三日間という期限付きで解放された囚人がその時間を有効活用して三人殺害するさまを本人のナレーション込みで描写する構成になっています。
冷静に考えたら悪趣味極まりない。
そしてそのような映画に何かそそられるものがあった自分も割と趣味が悪いことを否めない。
自室の本棚はその人となりを表す、というような言葉がありますがこうした刺激に吸い寄せられた自分もまた何かの資質があったのではと観終わった後はゾワゾワしました。
こうした残虐な殺人事件は現代日本でもしばしば起こり、それらは情念を込めない文章とせいぜい図解にとどめることで世間に発信するようになっています。
結局そうした削ぎ落としの作業は世間に公開するには必要なのだなと本作を観て感じました。
それぐらい不穏なリアリティというか心に迫るものがあったと思います。
もう30年以上も前に作られた映画ですが、こちらの心を見透かしてくるような得体の知れないえぐみのある作品でした。
それは理解することへの不安なのか
主人公・Kの生い立ちにも同情すべき点はあると思います。
母親から見捨てられた幼少期、厳格な祖母に縛られた少年時代、最初の恋人との歪んだ関係。
彼の内にある凶暴性や異常な性癖はそうした環境が育んだものなのかも知れないと。
まあそれはそれとして一家三人を無意味に惨殺するエクスキューズには絶対ならないですけど。
ストーリーは全体を通して彼の視点で進行するため、彼のモノローグでほぼほぼ占められます。
会話もほとんど成立しないし。
ゆえに「こいつは一体何を考えてるんだろう」と想像しながら観ていたのですが、その考えというのが割と支離滅裂で「あーでもこいつの中ではこの論理は成立してるんだ」と思うとちょっと怖くなりしました。
ずっと計画がどうとか言って即破綻、をやってたような気がする。
なので、この映画の題名でもある「アングスト(不安)」とは「観客が彼を理解してしまうかも知れない不安」という意味もこめられているのでは、と勝手に想像しています。
ただしあのスジの通ってなさは筋金入りで、またその様をノーカットで流したりするから大胆な構成だなと最初思いました。
私は自分で映画を撮るわけでもないので演出に関して何かを言える立場にはないんですが、それでもなぜか冗長に感じるシーンがいくつかあってなんでこんなところに尺を取るんだろうという違和感があったんです。
その日はモヤモヤしたまま眠りについたのですが、翌朝唐突に「あれは主人公がなぜその行動に出たのか思考の追体験させるための間ではないか」と思い至り、ゾッとしました。
「なんでそこでわざわざ門を締めた?」「なぜシャツだけ着替えなかった?」「うまくいくわけないのになぜそんな突発的な犯行を?」のように視聴中あるいは直後は数々の疑問が浮かんできたのですが、そうした描写が監督の意図するところであったとしたら監督は一般人である我々に殺人鬼の思考をなぞらせるための時間をあえて作ったと思えるのです。
「こいつは一体何をしているんだ?」と思ってしまった時点で彼を知ろうと心が動いているわけですからね。
日本でも時々ワイドショーなどで「犯行後、犯人は返り血を台所で洗い流した」と言った異様な状況を解説しますがそこをあんなにじっくりフィルムで観せるというのは想像以上におぞましいものがありました。
なんか鼻歌らしきものがまた真に迫っていて、異常者指数が格段に高いシーンでしたね。
そうした数々のホンモノ感があるシーンを演じたK役アーウィン・レダー氏のお父上は精神医学を研究しており「統合失調症患者に会った経験を役作りに活かした」とコメントを寄せていました。
ああ…だからあんなに色々とゾワゾワ来たのか…と納得してしまいます。
執拗な殺意の表現
あれ人によっては目を背けるかも知れない。
特に娘が地下通路で殺害されるところとか。
「やめろ、もういい!!わかった!!」って言いたくなりました。
そりゃ色んな映画館から出禁になるわ。
正直謳い文句の「オーストリアでは一週間で公開禁止!!」「返金を求める客続出!!」とかちょっと盛ってるんだろうなとは思ってたんですが、観終わったらちょっとさもありなんと思いましたね。
毒が強すぎる。
もっと薄めないと観客は心地良くならないというのが私の印象ですけどおそらく製作者は毒を出来るだけ濃度を保ったまま届けたかったのでしょう。
後述の通り全財産を賭けてまで挑むからには味を整えては意味がないと思ったはずです。
この映画に監督全力投球しすぎ
インタビューでも監督は当時の全財産ぶっ込むことになったと語っています。
まあその後別の仕事で損失を埋めることが出来たらしいので良かったのですが。
それでも約400,000ユーロという巨額をぶっ込むほどに「この作品を世に問わねばならない」と天啓が閃いてしまったのは仕方がない。
余談ですが本作は四十年近く前にビデオテープのみ日本上陸を果たしていたものの、本数が少ないためごく少数のマニアが目にした程度で今回のようにある程度の規模でロードショウしたのは日本初のようです。
日本中が鬼滅の刃で沸きかえっている時にようやるわ、と思わなくもありませんがこれこそが多様性のあるべき姿なのかも知れません。
爽快感は全くありませんでしたが、貴重な体験であったことは確かです。