藤子不二雄先生ファンです、平八です。
優れた漫画作品を堪能した後、その作品が描かれた楽屋裏も知りたくなりませんか?
私はなります。
今夜は「まいっちんぐマチコ先生」でおなじみ、えびはら武司先生による「藤子スタジオアシスタント日記 まいっちんぐマンガ道」のレビューです。
四コマ形式の藤子スタジオ物語
藤子スタジオアシスタント日記と銘打たれた本作は、その名の通り当時アシスタントだったえびはら先生の視点から描かれた藤子不二雄両先生の生態とふたりを取り巻くスタッフ達を結構赤裸々に描写しています。
四コマ漫画形式でえびはら先生の記憶にあるエピソードを各話ごとに短くまとめていくタイプの作品なので、基本どこからでも読めるし気軽(と言ったら失礼か)に読み進めることが出来ます。
まいっちんぐマチコ先生をリアルタイムで知らない私でも絵柄の可愛さでついつい引き込まれてしまいますね。
内容はオールドコロコロファンとしては思わずニヤリとしてしまうチーフアシ・K倉陽二先生(原文ママ)が腕利きのアシスタントでありながら意外と色んなところにルーズだったり、コロコロ本誌の漫画描き方コーナーでお世話になったしのだひでお先生の頼れるリリーフぶり、当時の藤本先生やドラえもんを取り巻く状況等実に興味深い話が目白押しでした。
私などは既にドラえもんが国民的アニメになっていた頃に作品に触れた世代ですので「単行本が6巻で打ち切りとか、ウソでしょ!?」とショックを受けました。
しかし、確かにあの名作「さようなら、ドラえもん」が掲載されたのも6巻ですし、言われてみれば表紙絵も何か全員集合してて「今まで応援ありがとう!」感がめっちゃ出てる。
実際には当初全6巻でまとめる予定だったドラえもんが刊行するたびにバカみたいに売れたため、「これはもう続けるしかないでしょ」と出版社から打診を受けて以後続刊という運びになったとのこと。
現在でも時々問題になってる「出版社が原稿紛失しててんやわんや」が、この頃から起こっていたのも興味深いですね。
人間と言うのはそう簡単には変われないものなのでしょうか。
あと、勇気づけられたというか当時の先生達もコピー機結構使ってたエピソードがあって、「おお、大御所達も効率化出来るところはしていらっしゃる」と感動というか納得しました。
おそ松くんってコピペだったんですね。
等身大のファン目線
ちょっと驚いたのは、当時のスタッフはほぼ全員プロとして仕事を請け負っていたプロアシスタントだったというところですね。
いやそりゃそうだろと思われたかも知れません。
何というか、「その先生が好きでたまらないからアシスタントにしてもらった」って人がもっと多いのかと思ってたんです。
あのK倉陽二先生(原文ママ)でさえ「我々は仕事としてアシをやってる」と公言されてたのは軽くショックでした。
怪作「ドラえもん百科」を描いたほどの男が。
しかしまあ考えてみれば、別にファンじゃなくても高い技術を提供してくれればそれでいいというものの考え方もあるかも知れません。
読者としては「作家を慕って集まったアシスタント達」という物語の方が夢があるんですけどね。
よってえびはら先生のようにファンが昂じてアシスタントになった、というのは藤子スタジオでは初の出来事だったようです。
そのおかげで本作がやや前のめりの熱量を有していると思えますね。
特にファン視点で気になったのは「えびはら先生が入社した当時、既に藤本先生と安孫子先生は机を並べて仕事をしていなかった」ことです。
これはやっぱり「まんが道」読者としては「エエッ」と思わざるを得なかった。
ふたりで肩寄せながら描いてなかったんですか、先生!!
(後で思ったけど「愛…しりそめし頃に…」の時代には既にトキワ荘でも別々の部屋を借りてた気がする)
しかしこの話には続きがあって、漫画雑誌からグラビアの依頼があった時には「読者の夢を壊さないように」とわざわざ一緒に作業をしているところを撮ってもらったというエピソードが披露されます。
言ってしまえばこれはウソではあるんですが、子供達のイメージを崩さないために一肌脱ぐ優しさを感じますね。
私も子供の頃は仲良く隣同士で描いてるところを思い浮かべてましたからね。
ただ、私はこれをもって「ふたりは仲が良くなかった」とは全く思わないのです。
上の方でも挙げた「愛…しりそめし頃に…」の2巻で藤本先生が亡くなった時の特別寄稿として「さらば友よ」というエピソードが描かれたのですが、ラストページの詩に涙せざるを得ない。
特に感銘を受けた一節が
「さようなら きみのぼく さようなら ぼくのきみ」
「愛…しりそめし頃に…」2巻より
というところで、安孫子先生がいかに分かちがたい想いを抱いていたかが短い言葉の中に籠められているようで、思わずもらい泣きしそうになります。
君の中にいた「ぼく」を、君は自分の死とともに連れて行ってしまった。
そんな寂しさが伝わって来るようです。
ちょっと話が逸れてしまって申し訳ないのですが、えびはら先生はあくまでバリバリ仕事をしておられた時代の藤子不二雄を憧れをもって見つめ、描き記しています。
その視点に共感するところも多く、心を弾ませながら読み進めました。
進化するマチコ先生
繰り返しになりますけど私はマチコ先生をリアルタイムで読んでいたわけではないので、当時の状況はよく分かりません。
(私の世代だとルナ先生が女神でしたね)
しかし未だにドラマ化されたり、ネット上で「子供の頃読んでたエッチ漫画挙げていこうぜ」という話になったら必ず名前が出て来るのでその影響力の凄さは知っていました。
本作でも藤子キャラにちなんだコスプレを女性達(中にはマチコ先生もいる)が扉絵を飾る形式になっています。
ここで指摘しておきたいのは、えびはら先生がかつての地位に甘んじることなく、バージョンアップを繰り返していることです。
具体的には第17話の扉絵で、マチコ先生が三角ブラの黒ビキニを着ているところ。
多分当時はここまでのサービスはなかったはず。
だって三角ですよ、三角。
布面積めっちゃちっちぇえ。
お乳の下も横もはみ出しとるやないけええ!!
取り乱しましたすいません。
とにかく本筋とは関係ないところですが、大ベテランのえびはら先生は今なお進化を続けていると、私の言いたかったことはそれです。
随所でまいっちんぐしてるので、本作はマチコ先生のファンにもおススメしたいところであります。
個人的にはえびはら先生作画の怪子ちゃんがたいへんカワイイので(75P)是非ご覧頂きたいです。
今後もこういう伝記物は増えるべき
あの先生はあの時どういう気持ちで過ごしていたんだろう、何を想ってこの作品を描いていたんだろう。
知りたい話はいっぱいあります。
手塚治虫先生やトキワ荘周辺の作家達に関しては名作「まんが道」「愛…しりそめし頃に…」があるのでまるで自分もそこにいるかのように当時の様子を想像しながら読みました。
一方その頃遥か秋田の地にも手塚治虫に心酔する少年がいた、という矢口高雄先生の「ボクの手塚治虫」があり、手塚先生の絶大な影響力を計り知れるというものです。
※2018年9月2日現在、Kindle Unlimited対象作品です。
暴露本、と言ってしまっては風情がなくなるのですが、当時作家先生達はどんな風に作品と向き合っていたのかを第三者の視点から描いた物語をもっと読みたいです。
本作はえびはら先生の青春時代に重きを置いていますが、その中で決して外すことの出来ない藤子不二雄先生やスタジオスタッフとの交流が軽妙に描かれており、大変読みやすかったです。
のむらしんぼ先生とも交流があるようですので、今度はその辺りにも触れたえびはら先生の物語を読んでみたいですね。
まさかの合わせ技で、本稿を締めたいと思います。